こんにちは!りさです。
「産後クライシス」…。最近よく耳にする言葉ですよね。
Wikipediaによると産後クライシスとは、
出産後から2 – 3年ほどの間に、夫婦仲が悪化するという現象
のことを指すそうです。
具体的には
「産後の子育てや家事に夫の協力が得られないのが原因」
とか、
「ホルモンバランスの影響」など、諸説あるようです。
私たち夫婦も実は、産後クライシス経験者です。
夫婦喧嘩が絶えず、息子が1才くらいまでは何度も離婚を考えていました。
実家に帰るのもしょっちゅうで、しまいには行政の相談窓口に電話するほど追い詰められていました。。
でも今は一家3人笑顔で過ごせるまでに夫婦仲が改善したんです!
その経験を経てインスタグラムで「夫婦喧嘩のループから脱出した方法」と題して投稿したところ、悩みを抱えるたくさんの方からコメントをいただきました。
「悩んでいるのは、私たちだけじゃなかったんだ…」
と感じたと同時に、インスタグラムでは文字数の関係で詳細をお伝えできないもどかしさを感じていました。
私も悩んでいた当時は、本当に精神的に追い詰められていました。
だからこそ、
「私たちのように関係を修復できたケースがあることを伝えたい!」
「苦しい思いをしている人に向けて情報を発信したい!」
と強く思ったんです。
かなり赤裸々なお話になってしまいますが、この記事を目にした人、画面の向こうのたった一人の方でもいいから、お役に立ちたいという思いで書いています。
というわけで、今回から数回にわたって、私たち夫婦がどのように産後クライシスを乗り越えたかについてお話ししていきたいと思います。
お付き合いいただけたら嬉しいです♪
夫との馴れ初めから出産まで
夫とは職場で出会いました。
といっても部署が違うので、記者とは違う仕事をしています。
性格は慎重派・根暗な私とは正反対の、思った道をどんどん進む明るい人です。
自分にはないその前向きな姿勢に惹かれて付き合うことになりました。
結婚までの交際期間は3年ほど。
その間に喧嘩したことは実は一度もありませんでした。
大切なことなのでもう一度言います。
喧嘩したことは一度もありませんでした。
自分で言うのもアレですが、いわゆるラブラブカップルでした(死語?笑)
最後の1年ほどは同棲していたこともあって、お互いの生活リズムや性格はほとんど分かっていました。
結果、「この人とだったらやっていけるな」と結婚までの道のりもスムーズでした。
幸い子宝にも恵まれ、結婚から約1年で男の子を出産。
『ひよこクラブ』や『mamagirl』といったママ雑誌のような幸せな産後ライフを夢見ていましたが、実はここから想像もしなかった壮絶な日々が始まるのでした。。。
里帰りを終えて転勤先へ引っ越し
出産前に夫は西日本のある県に転勤をしていました。
なので私は産前から生後3ヶ月まで東京の実家で生活していました。
その間も月に数回、夫は忙しい合間をぬって息子と私に会いに来てくれていました。
息子は生まれた時からずーっと2時間おきに夜泣きするショートスリーパーだったのですが、里帰り中は両親のサポートもあったので、何とか生活ができていました。
「これ、夫と3人暮らしになったらどうなるの…?」という不安を大いに抱えつつ、それでも息子はやっぱり可愛くて、寝不足ながらも充実した毎日でした。
義両親の「早く家族一緒に生活を始めたほうがいい」というプレッシャーもあり、生後3ヶ月の区切りで息子とともに夫の暮らす県へ引っ越ししました。
ワンオペ育児は想像以上の過酷さ
引っ越し後は想像以上の過酷さでした。
夫は仕事がとても忙しく、毎日帰宅は24時を回るのが普通でした。
縁もゆかりもない土地に引っ越したので知り合いも誰もいない。
抱っこ星人の息子を抱え、外出するのはスーパーか徒歩10分の支援センターのみ。
支援センターでお話しするママさんはいても、車を持っていない私は一緒にお出かけもできず。
正直、世間話程度で心を開けるほど仲良くなる人はいませんでした。
1日誰とも会話をしない日も多く、すごく孤独を感じていました。
息子のひどい夜泣きのこと
ワンオペ育児で特に辛かったのが、息子の夜泣きです。
生まれてから断乳するまで4時間通しで寝てくれたことは片手で数えるほど。
昼寝もきっちり1時間で起きるし(体内時計がすごい)、夜寝かしつけても2〜3時間おきに起こされる毎日。
抱っこでやっと寝かしつけても、お布団におくと背中スイッチが入ってまた起きる、の繰り返し。
ひよこクラブに載っているよく寝るお子さんと比べては暗くなり、
生後3ヶ月で7時間寝るとか嘘やろ?!と思ってました
支援センターで出会う子がよく寝る子で羨ましくなったり、
周りの子がいくら騒いでも寝ている子の意味がわかりませんでした
極度の睡眠不足で判断力もかなり低下していました。
もうこんな辛いなら、記者時代のブラック労働のがまだマシだー!と思うほど。
実は息子は生まれた時から体が大きく(出生体重4000g近かったです)、母乳しか受け付けませんでした。
しかも離乳食も文字通り一切食べませんでした。
いま思うと、体が大きいのですぐにお腹が減って泣いていたんだと思います。
母乳しか受け付けないため、夫や一時保育にも預けることができない。
さらに母乳で栄養を取られてフラフラでした。
そして事件が起きる
そんな寝不足ゾンビな毎日だったので、もちろん家事もままならず、掃除は週に1回、食事はやっとの思いで作っていましたが息子と寝落ちする日も多かったです。
そんな時、事件は起きたのです…。
続く!
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